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あの日から46年 15歳の女子高校生が向き合う拉致問題 「市川さんに託されたバトン」 鹿児島・日置市 (24/08/19 14:00)

by MOEPP



あの日から46年 15歳の女子高校生が向き合う拉致問題 「市川さんに託されたバトン」 鹿児島・日置市 (24/08/19 14:00)

鹿児島県日置市の吹上浜で、市川修一さんと増元るみ子さんが北朝鮮に拉致されてから、2024年で46年となりました。

関係者の高齢化が進む中、この拉致問題と向き合い続ける高校生がいます。15歳が見る拉致問題、そして、彼女がつなぐ「バトン」の現在地を追いました。

市川修一さんの兄・市川健一さん(79)
「『兄ちゃんただいま』という弟の声を聞きたい。早く会いたい」

強い日差しが照りつけた8月9日。鹿児島県日置市で拉致被害者家族、市川健一さんと妻・龍子さんは情報提供を呼びかけました。

その2人の横に立っていたのは川内高校1年の羽島奈穂さん、15歳です。

その後、羽島さんが両親と訪れたのは日置市の吹上浜。46年前の1978年、この場所で夕日を見に訪れた市川修一さんと増元るみ子さんは北朝鮮に拉致されました。

羽島奈穂さん(15)
「意外と静かな場所。本当にここで起きたのかな」

羽島さんが拉致問題に関心を持ったきっかけは、中学3年の時に拉致問題を題材にした作文コンクールに参加したこと。修一さんの兄、健一さんに直接話を聞き紡いだ文章です。

当時中学3年生・羽島奈穂さん
「『ただいま』『おかえり』そんな何気ない会話さえできない家族が私の近くにいる」

作文の題名は「市川さんに託されたバトン」。全国で最優秀賞に輝きました。

それから1年ー

「こんにちは」
「いらっしゃい」

羽島さんは再び市川さんの自宅を訪れました。

市川健一さん
「修一がいなくなった時は32、3歳だったかな。それから46年。人生の半分以上を悩んできた」

羽島さん
「自分の)兄がもし(拉致されたら)って思うと、話を聞かせてもらった一人として悔しいだけではダメだなって」

健一さんの妻・龍子さんが見せてくれたものがありました。

市川健一さんの妻・龍子さん(78)
「修一が吸っていたタバコがある。50年前のもの。お母さんが修一に宛てた手紙」

修一さんとの思い出の品々です。

龍子さん
「お父さん(健一さん)は見られない。絶対いじらない主人は。お父さんは
見られない」

中でも特別な思いがあるものー

龍子さん
「初めての給料で買ってあげたんだって。お母さんに」

初任給で母・トミさんに贈った大島紬です。

トミさんがこの大島紬を手入れする映像が残されていました。

市川修一さんの母 故・トミさん(2002年撮影)
「まだ一回も着ていません。出したら泣けるから出さなかった。これを着て出迎えに行こうかと思った」

「修一が帰ってきたら大島紬で出迎える」そう話していたトミさん。

しかし、トミさんは大島紬に一度も袖を通すことなく亡くなりました。

市川龍子さん
「着せたかったな。一生このままってことかな」

羽島さん
「紬の中に色々な思い出がつまっていて、『まだ諦めたらダメだな』というのを改めて感じた」

この日、羽島さんの姿は川内高校にありました。

同級生で放送部の盛山稟心さんに拉致問題について語ります。

「若い世代の人からどんどん広がって世論が高まって、最終的に解決(につながれば)」

羽島さんの話を聞いた盛山さん、放送部のコンクールで拉致問題を取り上げようと考えています。

羽島さんの同級生・盛山稟心さん
「あまり関係ない話かなと思っていたが、身近な人が拉致について考えていて、もっと何か関わっていけるなと思った」

冒頭のチラシ配りの現場には、羽島さんの作文を読んだという中学生も訪れていました。

拉致から46年。解決を見ないまま半世紀がたとうとする中、15歳の高校生が市川さんから受け取ったバトンは今、若い世代につながっています。

市川健一さん
「若い人たちがそういう気持ちになってくれるとありがたい。これを望んでいる」

羽島奈穂さん
「自分が思っている以上に、みんな興味を持ってくれて、受け取った人たちが次の人にまたその友達にとバトンをつないでくれたらうれしいので、色々な人に伝えていきたい」

修一さんが「ただいま」と言えるその日までー

羽島さんはバトンを渡し続けます。

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